Passport & Garçon聴いた
満を持して発売されたMoment JoonのアルバムPassport & Garçonを聞いた。すごいとしか言いようがない。ウィットとユーモアに満ちながらあまりに過激なため聞き手がひるんでしまうような毒気にまぶされていて、剥き出しの直情的な言葉が放たれながらも(これは彼が受けてきた苛烈な差別的言辞の一部が彼のなかに内在化していることを伺わせて痛ましいが、同時にそれをどぎついストレートな表現そのままにアウトプットすることで自己の精神性をどこか客観視しているとも感じさせる)、確かな知性に裏打ちされている。
正直に言うとこのアルバム、一聴してとても疲れた。日本語話者、またこの日本社会の構成要素の一部として人生の一定期間を過ごしてきた人が聴けば、誰しもが”傷つかずにいられない”のではないかと思わせる切っ先鋭いアルバムではあるが、それにしても先の彼のEP(Immigration EP)を聞いたときにはもうちょっとストレートにアガれた。それは彼の表現技術と内容がより進化/深化した証でもあるのだろうし、一方でこれを聞いてぐっと疲弊してしまうというのは、自分がこれまで自分の周りに広がる社会というもののありようを、その構成要素の一部として与することによってある意味では物言わず肯定してきたことへの代償という気がする(あと、KIMUCHI DE BINTAなどに顕著だが、このアルバム全体を通じて──この表現が適切かどうかはともかく──躁と鬱を往復するようなところがあって、これも精神的にやられる一因かなとは思う)。
いずれにせよすごい一枚と思うが、最後まで聞いて印象に残るのはこれが2020年現在のシーンに求められていた”日本語ラップ”であること。彼の出自とシーンへの思いが綴られたHome/Chonなども経てアルバムを締めくくる一曲TENO HIRAに至ったとき、故ECDの名前が”さん付け”でドロップされそこにバトンが受け継がれたことを確かめたあとでは、このアルバムそしてMoment Joonという存在が──あくまでECDと同じく敬称のもとにネームドロッピングされている”宇多丸さん”の言う──「外」ではなく、日本語ラップの”直球ど真ん中”であることを理解しないわけにいかない。
最後に、僕はある作品(音楽でも小説でも映画でも)が持つ「政治性」とは、作品と作品を取り巻く社会が取り結ぼうとする距離感というか、そのアティチュードのことだと思っている。この1枚は、むしろリスナーであるこちら側に、安易な共感ではなく、無視でもなく、どのような言葉によってそれに歩み寄ることができるかを考えさせる強烈な力がある。高度な政治性を帯びた圧倒的名盤と思う。
※2020/3/18のMoment本人のツイートによると、彼自身は自分のことを「日本ヒップホップ」というカテゴリーで認識しているらしい。